暮らし

1K(20㎡)で2人暮らしすることになった理由

ウワーッ
なちこです。

今2人で住んでる部屋は、木造アパートの2階の角部屋。

私が京都に引っ越してきた2014年の、2月下旬に入居したので
気づけば(私は)もう5年以上住んでることになります。

4月から、パートナーが
いわゆる「転がり込んできた」形でw一緒に住むことにしたんですが、
1K6畳で2人暮らしを始めたって話を人にすると、
やっぱ驚かれたり、ちょっと心配な顔されたりしますねー。
(話のネタとしてはとてもおいしいw)

なんで、この部屋で2人で暮らすことになったか、
ちょっと説明してみたいと思います٩( ‘ω’ )و 

自分用の個室がないと無理!って思ってた

前にも書いたけど↓

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私は「誰かと一緒に暮らすなんて、絶対無理やろうなぁ…(遠い目)」と思ってたような時期もありました。

それは、人と一緒にいると緊張しちゃうから。
一緒にいて楽しい人とでも、
楽しい時間が終わって、家に帰ると、どっと疲れてたりするんですよね。
(最近は、できるだけ疲れない人と会う機会を増やすようにしたり、疲れそうだなと思ったら早めに切り上げて帰るなどの工夫をするようにしてるけど)

自分なりのこだわりとかも強いし、多いし、
シングルの期間が長かったから、自分のライフスタイルに最適化された一人暮らしも超快適だし、
一般的な基準と比べてもそこそこ綺麗好きだし(潔癖ではないけど、たまに強迫的だし)、
一人で過ごす時間も自分にとってすごく大切で、
それを侵されたくないっていうか、
自分とは違う人間がプライベートな空間にいると
ソワソワしちゃって、リラックスできない気がしてました
(もちろんその人のライフスタイルを否定するわけではないよ)。

自分が生活の中で大切にしていることを、
否定されたらやだなっていう気持ちもありました。
(「そこまで丁寧にやらなくてもいいんじゃない?」みたいなこと言われる可能性)

今までにも、船のキャビンやシェアハウスの一室で、誰かと一緒に暮らしたことはあるけど、それはやっぱ、期限が決まってたからできてたんだと思うんだよねー。
なんとなく「仮暮らし」だと思ってれば、いろいろ工夫したりもできるから。

だから、もしもいつか結婚とかして、誰かとずっと一緒に暮らすことになるとしたら、
その場合、相手がどんなに好きな人であったとしても、
「せめて自分専用の個室がないと無理!」って思ってました。
「自分一人の空間」を確保しないと、息が詰まって、自分が自分じゃなくなってしまうんじゃないかって。

1K(20㎡)2人暮らしを最初に提案したのはパートナー

「一緒に暮らしたいねー」みたいな話は、付き合い始めてからわりとすぐに出てきた気がします。
まぁお互いにもういい大人だし、働いてるし、遠距離ってわけでもなく、一緒に暮らさない理由の方があんまりないというか、そんな感じで。

最初にパートナーから
「この部屋で2人で一緒に暮らすとかどう?」って提案された時は
「えーーーーーーーーーー囧 それは絶対ないわーーーーーーーー囧」
って感じでした。

私の理想は、
「お互いに1部屋ずつないとやだ!(せめて私だけでも個室がほしい!)」
だったから(ささだあすか『パジャマでごろん』の影響もあったかもw)。

1K(20㎡)で一緒に暮らすなんて、論外も論外!
即却下でしたわ。

んで、「じゃあどっか部屋探してみようか」みたいな感じで、
なんとなーく賃貸情報みたりとか、
気まぐれに内見に行ってみたりとかもしたけど、

どこらへんに住みたいかとか、
とりあえずアパートに住むか、古民家みたいなのを探すかとか、
もうしばらく街に住むか、それとも思い切って田舎に移住するかとか、
決めきれなくて、ブレブレ。

彼が仕事を続けるか辞めるかも、けっこう大きい要素だったから
それの決断待ちだったりとか。

それに加えて、
私が今住んでる部屋を気に入り過ぎていて
(めっちゃ日当たりいいし、暮らしやすすぎて、もはや個人的パワースポット)
「ここよりも気に入ったとこじゃないとやだ!」っていう条件も加わりw、
結局何も進まず。

「どうしよっかね〜」などと言いながら時間が過ぎてました。
お金的にも、すぐに引っ越しできるほどの余裕があったわけでもなかったし。

パーマカルチャーとミニマリズムとスモールハウス

とは言え、京都と高槻を行ったり来たりしながら、楽しく日々を過ごしていたし、
前にも書いたように、月に一度は一緒に岡山へ通って↓

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パーマカルチャー的暮らしをしている人たちとの交流を深めたりしてました。

私たちが通っていた岡山のパーマカルチャーセンター上籾(かみもみ):通称パミモミは、主宰者のカイル・ホルツヒューターさんが一級左官技能士で日本ストローベイルハウス研究会会長ということもあり、たぶん日本のパーマカルチャーフィールドの中でも、建築分野が得意なのが特徴で、私のパートナーは、その影響を受けて、家づくりへの関心がUP。
もちろん、家以外にも、「暮らしをデザインする」ということについて、学ぶともなく学ぶ(なんとなく情報が入ってくる)ようなつながりを手にしていきました。

それから、個人的には、この本↓

佐々木典士さんというミニマリストの『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』との出合いがなかなか強烈で、私は去年の夏ごろから、家の中にあるモノをどんどん手放していきました。
以前からこんまりさんの影響を受けて、かなりモノは減らしてたけど、佐々木さんの本を読んだら、より「手放す」ことが加速!!

メルカリの使い方もマスターして、
じゃんじゃん、捨てたり売ったり譲ったりしました!

そしたら、なんかすっごい部屋がスッキリしちゃってね!
一人暮らし用の部屋なのに、一人で住んでてもめっちゃ広く感じるの!笑
なんならもう一人(ミニマリスト)住めるんじゃないかと思うくらいに……。

同じ頃、前から少し興味のあった「タイニーハウス」や「スモールハウス」について、本やwebから情報を得たところ、なんだかとっても魅力的だと感じ、ますます興味津々に!!😍

簡単に言うと、少ないモノと小さな家で、
シンプルに豊かに暮らすライフスタイルのこと。

タイニーハウスやスモールハウスムーブメントについてはこちら↓

パートナーも、もともと持ってるモノが少ない人で、
オフグリッドライフやシンプルライフに興味があるので、
「自分で家作ってみたいなぁ」とか言い始めて、

なんとなく、
「じゃあいつかタイニーハウス(もしくはモバイルハウス?)作って住もっかー」
みたいなことを話すようになってました。

タイニーハウスで暮らす練習!?

そして、ふと考えたら、
「いつかタイニーハウスに2人で住むってことを考えると、
 今のアパートで2人で暮らすのなんて、むしろ広いくらいでは!?」
って思ったんですよね。笑

発想の転換というか。

この頃になると、たまに部屋で2人で過ごしてても、
1人で過ごしてる時と同じくらい自然体で過ごせてる自分がいて、
「あれ? もしかしたら、この人となら、個室がなくても暮らせるかも?」って気持ちが芽生え始めてました。

これは大きな変化。

それから、彼が、仕事を辞めて京都の職業訓練校に通う意志が固まってきて、
私もとりあえずは今の職場で今の仕事を続けようかなと思えていたので、
そろそろ一緒に住む計画を具体的な方向に進めなきゃいけない雰囲気が漂い始め、
私の方から
「この部屋で一緒に住んでみる!?(住んでみて、ダメだったら、そん時は引っ越そうねw)」
って提案してみたのでした。

タイニーハウスで暮らす練習だと思ってもいいし、
昭和の若いカップルの疑似体験「六畳一間暮らしごっこ」だと思っても楽しいし、
とにかく、遊び感覚にしちゃえば、いけるんちゃうかな!?😆って感じで。

1K20㎡2人暮らしのメリット

まぁ、そこからはほぼトントン拍子で、
この1K20㎡の部屋で一緒に暮らす準備が進みました。

私のこだわりさえなくなってみれば、今の生活はメリットばかり!

・とにかく家賃が安い(半額になったわけで)
・掃除が楽(狭いし、モノも少ないし、2人でやればあっちゅーま)
・無駄なモノを増やさない(収納もほとんどない部屋なので、厳選したモノしか置けない)
・コミュニケーションが密(ぴとっ💕笑)

そして、お互いを尊重し合えてたら、
お互いのやり方も尊重し合えるんだ(自分の大切にしたいことを否定されない)ってことも身をもって学んでいます!

手放せないと思ってたこだわりを捨てて、
思い切って決めてみて、本当によかったと思います。

発想の転換をくれた
タイニーハウスムーブメントにも
\ありがとう!/
 
 
今、家にいるとき、私はとてもリラーーーーーーックスしてます😌🍀

振り返って考えると、以前は、誰かと一緒にいる時間は常に、
人からの視線をすっごく気にしてたんだなぁと思います(無意識なのも含めて)。

周りに対して気遣いができたり、
かっこいい自分であろうとすることが悪いことってわけじゃないですけどね。

でも、誰かと一緒にいるのに、なーーんにも気を遣わないで
素の自分でいられるって、本当に楽で、本当に有り難くて、本当にうれしい。

元AC(Adult Children of Dysfunctional family)の私としては、
これはもう奇跡みたいな感じ。

毎日が、とても穏やかで
ただただ生活してること、それ自体を、とても幸せに感じています。
 
 
 
読んでくださって、ありがとうございました(^o^)/