ひきこもりのきょうだい

「ひきこもりのきょうだい」は、まずは自分が幸せになろう。

ウワーッ
なちこです。

こないだ夜中にこんなツイートが流れてきました。
有名ブロガーのヒトデさんのツイートです。


重い話題は嫌いじゃないので、リンク先の記事を読みに行きました。
とても心に響く文章でした。

記事の内容を要約すると、ヒトデさんの弟さんがダウン症で、ヒトデさん自身はそのことで悩んだり苦労をしてきた部分があって(良かった部分についても書いてある)、結婚もできないだろうと思ってたんだけど、同じく障害を持つきょうだいがいる女性と出会い、とても深いレベルので共感と理解を得て、その女性と結ばれたという話。
「障害者をきょうだいに持つ、障害者ではない人」の存在と大変さを知ってほしいというメッセージも含まれてると感じました。

この記事を読んで、「私も、自分のことを書きたい」と思ったので、この記事を書いています。(ヒトデさん、ありがとうございます!)

「ひきこもりのきょうだい」の存在

ヒトデさんの記事が私の心に強く響いたのは、「きょうだい児」と「ひきこもりのきょうだい」の心理的境遇がとてもよく似ていることを思い出したからです(「気づいた」でも「初めて知った」でもなく、「思い出した」だったんです。これについては後述します)。

ヒトデさんの記事では、まず「きょうだい児」という言葉について説明してありました。

タイトルの「きょうだい児」。ピンと来なかった方も多いと思います

きょうだい児とは、障害や病気をもった子の兄弟姉妹のことをいいます

あんまり聞いた事無い言葉だと思いますし、実際に僕もこの言葉を知ったのはここ数年のことです

まあ結構重たい話なんですが、仮に障害を持った子が生まれると、どうしても親はその子へ付きっきりになります。当たり前です。大変だもん

でもそんなとき、健常者として生まれた「きょうだい」達も、実は大変です

「きょうだい児」という言葉があまり一般的でないのと同じように、たぶん「ひきこもりのきょうだい」の存在もまた、一般的にはあまり認知されていないよなーと思います。

多くの人が思い至ってはいないけれど、「きょうだいにひきこもりがいる」という状況の当事者は、たくさんいます。

「きょうだい児」のような、認識を統一できる呼び方も、今のところないです。

「ひきこもりのきょうだい」は、日本に70〜80万人くらいはいるのでは

私は「きょうだいにひきこもりがいる人」って日本に何人くらいいるんだろう?という疑問をずっと持ってました。
検索してみても「きょうだいにひきこもりがいる人」そのものの数を出しているような統計は存在しないので、自分なりに計算してみたこともあります(←フェルミ推定ってやつでしょうか)。

その結果、70万〜80万人くらいはいるんじゃないかと思ってます(概算に使用した数字は後述)。
ひきこもり状態の人は全国に100万人くらいいると推計されているんですが、その世代の平均きょうだい数がだいたい1.7〜1.8人くらいなんです。
だから、ひきこもりが100万人いるなら、その7〜8割の人数の人が「ひきこもりのきょうだい」にあたる可能性があるというのが、私なりの推計です。

フェルミ推定の概算要素(読み飛ばしてもOK)

内閣府は2010年と2016年に、ひきこもりに関する調査(若者の生活に関する調査)を行なっていて、
2010年は 約69万人(推計)
2016年は 約54万人(推計)
という結果になっているんですが(サンプル調査をもとにした推計です)、
ひきこもり取材暦20年のジャーナリスト・池上正樹氏は、この調査では39歳までしか調査対象になっていないため、40歳以上のひきこもりが含まれておらず、実態を表していないと指摘しているんです。

40歳以上のひきこもりは、30代までのひきこもりと比べても社会復帰が難しいこともあり、その数は増え続けています。

参考記事

40歳以上の人も含むひきこもり調査をしている自治体もあり、その調査結果をもとに推計すると、ひきこもりは全国的に100万人はいるだろうというのが池上氏の予想です(長期ひきこもり者の高齢化はかなり進んでいるので、私もその予想を支持し、一旦ここでは100万人を使用)。

政府統計の「国民生活基礎調査」という統計資料から「児童のいる世帯の平均児童数」の推移を見ていくと、1986年が1.83人、2001年が1.75人です(「平成28年 国民生活調査 第1巻」厚生労働省大院官房統計情報部 2018)。

私は数字や統計は素人なので、厳密な計算の仕方はわかりませんが、2016年の調査対象だった15〜39歳の人たちの世代(1977年〜2001生まれ)の平均きょうだい数を仮に1.7〜1.8人としてみると、ひきこもり当事者100万人(池上正樹氏推計値)に対して、「ひきこもりのきょうだい」は70万〜80万人くらいはいると考えています。

私は「ひきこもりのきょうだい」です

はい、改めて書きますが、私は「きょうだいにひきこもりがいる人」です。ここでは「ひきこもりのきょうだい」という呼び方で書いていこうと思います。

私の場合は、姉がひきこもりです。
「ひきこもり」と言っても、その程度や生活スタイルは人それぞれで、ひとくくりにはできません。
私の姉は、内閣府の調査項目で言えば「趣味の用事のときだけ外出する」「近所のコンビニなどには出かける」という感じでしょうか。
部屋に籠りっきりなわけではないです。中学1年の不登校以来、家にいて、アルバイトも含め一度も働いたことはありませんが、家族とは話すし、家事もします。自転車や、親の運転する車には乗れますが、電車には乗れないようです。

一般的には、不登校や就労の失敗をきっかけに何年も自宅に閉じこもり続ける若者、と捉えられていますが、それはメディアが作り上げたひきこもり像といえます。

特にテレビは分かりやすい絵を流したがる。今はずいぶんと減りましたが、一時期は取材依頼の際、『カーテンを閉め切った薄暗い部屋でうずくまる若者の絵が欲しいから、撮影可能なひきこもりの方を紹介してほしい』とよく要望されたものです。

でも、私はこれまで1000人以上の当事者の方々とやりとりしてきましたが、現実にそういうイメージ像は一面でしかありません。仕事がなく、家の中にいることが多いのは確かですが、彼らは普通にコンビニに行きますし、健康のためにジョギングしたり、図書館にも行く。

全国で推計50万人! 40歳以上の”ひきこもり中年”たちは、なぜ公的支援の対象から外され続けてきたのか?より引用

ただ、彼らは家族以外の人と話をしないし、関わろうともしません。親とのコミュニケーションがまったくない人もいる。社会との関係性を”遮断”しているのです。

そのうえで自室に閉じこもる人もいれば、外出する人もいる。いつか社会復帰したいと思っている人もいれば、生きていたいと思うようになりたいと、綱渡りのように踏みとどまっている人も……。彼らの境遇は「ひきこもり」という言葉でひと括りにはできません。

「ひきこもりのきょうだい」の抱える問題

きょうだい児にとって一番の問題は、単純に我慢が増えます

きょうだいは特別で、自分は特別ではありません。優先順位はどうしても1つ下がり、興味関心もやはりきょうだいに多く向きます

ただ、これはある程度仕方のない事です。障害があれば、当然物理的に手間がかかることが多いからです。しかし親のリソースは有限です。どうしてもその分の割をきょうだいも食らいます

「ひきこもりのきょうだい」も、「きょうだい児」と同じように、「自分は当事者ではないが、同じ家庭内で生活しているからこその悩み」があります。
もちろん悩みはそれぞれですが、共通する部分もけっこうあると思います。

私が感じていたしんどさは、

  • 親の関心がひきこもり当事者の方に向きがち
  • 親とひきこもり当事者の家庭内ゴタゴタに否応無く巻き込まれる
  • ひきこもりの問題から自分が排除される(解決に関わらせてもらえない)疎外感
  • きょうだいが社会的つながりを持たない姿を見続けることで気持ちが沈む
  • きょうだいが将来もずっとこのままだったら、親が死んだ後は自分がきょうだいの世話をしないといけないのだろうかという不安が消えない
  • そもそも解決する気があるのかないのかわからない親、もしくは、なんとかしたいとは思っていても勉強不足・情報不足で努力の方向が間違っている親に対しての絶望感
  • きょうだいと、大人同士の「人生の話」ができないさみしさ

などです(言葉にして認識できたのは、大人になってから)。

私は、この問題で心底悩んでいた時(2010年頃)に、たまたま図書館で「きょうだい児のケア」に関する本を手に取り、
「ひきこもりのきょうだいと障害者のきょうだいって、
 心理的状況がすごく似てるんだ……!!」ということに気づきました。

この本と 

この本です。

ヒトデさんの記事を読んで、私が
「あぁっ……!!」と思い出したのは、この本を読んだ時に知った
「私も、“ケアされるべき人”だったんだ……!!」という事実、
そして、その時の号泣だったんです。

そう、もし今これを読んでいる人で、同じように「きょうだいがひきこもり」で苦しんでいる人がいたら、まずは「今まで、よくがんばってきましたね」と言いたいです。
あなたは、ケアされるべき人です。

そして、同じような立場の人は、70万人くらいいるんです。
ドンピシャで気持ちを共有し合える人も、必ずどこかにいるはずです。

※障害とひきこもりを並べて論じることに抵抗のある人もいるかもしれません。でも、私がヒトデさんの記事を読んで感じたのは、「きょうだいの感じるしんどさ」が似ているということだったので、この記事では、「きょうだいの感じるしんどさ」を共通項として関連づける趣旨で書いています。

「ひきこもりのきょうだい」に関する本は全然なかった

私は、不安なことがあったり、解決したい問題を抱えていたり、「他の人はどうしてるんだろう?」と思う時は、そのテーマに関する本やブログ記事を読むことが多いです。

自分が「ケアされるべき人」だと知ってから、どこかにケアしてくれる支援者はいないのか、もしくはセルフケアの方法がどこかに書いてないか、本やネットを探しました。
2010年頃のことです。

その結果わかったのは、「この社会では、“ひきこもりのきょうだい”なんて、存在しないかのようになっている」ということでした。

これは、かなり気持ちを重くする事実でした。

姉がひきこもりになった当時と比較すれば(その頃は「ひきこもり」という言葉もまだなかった)、ひきこもりに関する研究報告や、ひきこもり当事者の声を集めた書籍などが世に出回るようになっていたのは幸いではあったんですが、どの本を見ても、書いてあるのは当事者と親のことばかり。

きょうだいについては、日本のひきこもり研究の第一人者である斎藤環先生のいくつかの著作の中で、多くても1〜2ページ、場合によっては数行取り上げられている程度で、大半の書籍では、全く触れられていない方が当たり前でした(私が見つけることのできた唯一の例外は、『ユリイカ』2006年2月号に載っていた「ひきこもりのきょうだい」という記事で、工藤らぱんさんという会社員の方が書いたもの)。

だからこそ、私は「きょうだい児のケア」の本にたどり着いたのだと思います。
「ひきこもりのきょうだいのケア」の本がどこにもなかったから。

最近では、前述したジャーナリスト・池上正樹氏の著作やネットの記事などでもきょうだいのことは取り上げられている感がありますし、
私は未読ですが

こういう本も出ていて、だいぶ「一緒に考えてくれる人」は増えてきている感触があります。

また、全国ひきこもり家族連合会(KHJ)という団体があって、その中に
「KHJひきこもり兄弟姉妹の会」というのもあります(一度行ってみたいと思っていますが、東京なのでなかなか行けずにいます)。

自分から探しにいけば、支援者や仲間は見つかるかも。
そういう希望が持てるようになってきています。

「ひきこもりのきょうだい」の私にもパートナーができた

さて、この記事を書こうと思ったきっかけが、ヒトデさんの記事だったので、私自身のパートナーシップについても少し書きたいと思います。

私は現在、結婚を考えているパートナーがいて、とても幸せな関係を築いています。
彼には、うちの姉の事情についてもよく話していますし、彼を紹介するため、2人で一緒にうちの実家に行った時に、姉とも対面して挨拶していました(ほんま一瞬だったけどw)。

お互いが惹かれあった直接の要因は、ひきこもりとは関係なかったけど、私のパートナーも、家族に大きな問題を抱えていたという点でとてもよく似ているんです。
なので、付き合い始めた後に、そのことについて話して、共感し合ったし、ヒトデさん同様、やっぱりそこはすごく重要なバックグラウンドかなと思います(“毒親持ち”は、“毒親話”を理解してくれる人と付き合った方がいいと思いますマジ)。

私は、「きょうだいにひきこもりがいることで、自分は結婚できないだろう」とは思ってはいませんでした。
そういう事情も含めて私のことを好きになってくれる人と一緒になりたいと思ってたし、むしろ、そのことが理由で結婚できないような人なら、こちらからお断りでいいと思っていました(だよねぇ?)。
まぁ、強く決心していたというほどでもなく、
「うちの姉は、家事も買い物もできるから、親が死んでも、お金さえあればとりあえず暮らしてはいけるだろう(精神的充足については別途考えるとして)。お金なら、私が稼いでなんとかすればいいわけで、結婚相手に頼るつもりは全然ない(精神的に支えてほしいとは思うけど)。それを伝えて、わかってくれる人と結婚すればいい」となんとなく思っていたって感じでしょうか。
今は割とこの考え方で「どうにかなるかな〜」と楽観的に考えています。

もちろん、これは私の例なので、他の人にもそう思ってほしいというわけではないですし、もっと深刻な状況にある人もたくさんいると思います。

私も、このことについて考えるだけでも十分しんどい時期もあったし、
なんなら「もう知らねぇし! なんで私がそんなことまで考えなきゃいけないわけ!? 親と本人だけで勝手にずっとやってろよ!! 私はもう実家には戻らないし、親が死んでも何もしない」って本気で思った時期もありました。
乗り越えたかというとわからなくて、またそういう波が来る可能性だってありますよね。

親に危機感がないと、本当に絶望的な気持ちになるけど、まずはこのあたりの本を読んで(あるいは親に読んでももらって)、「自分はすごく不安に思っている」「真剣にプランニングする必要があることだ」ということを根気よく伝えていくのが、必要かなと思います。

私は、パートナーとは「自分の家族のことも、相手の家族のことも、何かが起これば、その時その時の状況に合わせて、その都度あるリソースで、とにかく一緒になんとかしよう」と思える関係性をめざしていますね。

親が死んだ後のお金、それから障害年金について

ヒトデさんの記事でけっこう衝撃的だったのが、障害のあるきょうだいがたくさんお金を持っていたということ。
ご両親が、国から支給される障害年金を、1円も使わずに貯め続けていたのだそうです(そしてもちろん、ご両親亡き後も年金の支給は続きます)。

ぶっちゃけると、正直マジで
「うらやましい!!!」とか思ってしまいました。

ある角度から見たら、これは不謹慎な発言なんだろうけど、
でも、とりあえず「親が死んだ後、経済的に自立してないきょうだいの世話をしなきゃいけない立場の人が、お金のことだけを考える」角度だけから、言うだけ言わせてほしい!!

お金、あるんだ!!
うらやましい!!!( 」゚Д゚)」

ひきこもりの人の中には、おそらく発達障害の人や精神障害の人もいると思います。
もしかすると、障害と診断されれば、程度によっては障害年金が支給される可能性もあります。
特に、発達障害が社会的に認識され始めたのは、ひきこもりが増加し始めた後なので、高年齢のひきこもりになればなるほど、発達障害かもしれないという可能性を考えたり、医師の診断を仰いだりしたことのある人が少ないと思います。

このへんは、私も両親ともう少し話し合ってみたいと考えてます。

「ひきこもりのきょうだい」は、まずは自分が幸せになろう

ひきこもり当事者の人生と、きょうだいの人生は、別物です。
だから私は、「ひきこもりのきょうだい」自身が、まずは自分を幸せにすることが大事だと強く言いたいです。
極端に言えば、ひきこもり当事者(きょうだい)は、いないものと想定して、自己中に自分の幸せを探求するくらいでちょうどいい。

自分が幸せになってから初めて、自分以外の人の幸せについて考えてみればいいんです。

「ひきこもりのきょうだい」を、すっごくすっごく大雑把に二分すると、ひきこもり当事者に対して、

 1. どうにかしてあげたい。
 2. 知らね。いなくなってほしい。

の2つの感情があると思うんですよね。
もちろん、2つの感情が混じり合ってたり、波があったり、人それぞれだと思います。

このアンビバレンスと付き合うのは、それだけで疲れますし、
だけど、現実的に何もできないのもつらい。
本音を言えばだけど、そんな風に思う自分は人でなしなんじゃないかと思うとそれもしんどい。
とにかくキツい。
「ひきこもりのきょうだい」であるってだけで、もう大変なんですよ。
自分は何も悪くないのに。

だから、まずは、きょうだいのことは一旦頭から消しちゃっていいと思いますよ。
そうすることでたどり着ける場所があって、そこから見ると景色は少し違っているかもしれません。

そして、「自分と親との関係」について考えてみることも大事だと私は思ってます。
長期ひきこもりを抱えていると、親との関係性に問題があるのはひきこもり当事者の方だけで、自分と親との関係にも問題があるとは思ってもいない人もけっこういます。
それこそ、ヒトデさんの記事に書いてあったように「優等生」になってしまう人も多い(私はまさにこれだった)。

でも、「ひきこもりが生まれてしまうような家庭」で、同じ親に育てられて、一緒に育ったんだもん。
あなた自身は何も悪くなくても(むしろ、何も悪くないからこそ!)、あなたと親の関係性には、見直すべきところがある可能性は大いにあります。

まずは、自分を思いっきり癒してみてください。
だって、あなたは「ケアされるべき人」なんですから。

自分と似た境遇の人の体験談を探して読んだり聞いたりするのも、すごくいいですよ。

私自身がどうやって絶望から立ち上がり、楽観的になっていったかは、また別の記事で語ろうと思います。

長い記事を読んでくださって、本当にありがとうございました!

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