ひきこもりのきょうだい

Jadedなひきこもりとヤンキーとその親

※この記事は、旧ブログ「なちこりあ」に書いた文章を加筆修正したものです。

【jaded】(形)疲れきった、うんざりした、冷めた、荒れた
【jade】(他動)疲れ果てさせる, うんざりさせる (自動)疲れ果てる,うんざりする

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歌詞の意味は知らないけど、曲は好きっていう洋楽ってあると思う。

なんかむしゃくしゃして、思いっ切り叫びたくなったときに、
この曲のサビを思い出した。

エアロスミスの『Jaded』。

久しぶりに聴いてみたけど、やっぱ好き、と思った。

せっかくだから、歌詞の意味を調べてみようと思ったら、
この動画を見つけた。
(2019/01/05 記事移転時注:元の記事に貼っていた動画のリンクが既に切れていたので、Amazonのリンクを貼り直しました。Amazon prime music会員の人はリンク先から聴けます。残念ながら和訳はついてませんが)

他にも歌詞を和訳している人は何人か見つけたけど、
この動画についている訳がいちばんしっくりくるように感じた。

動画をアップした人のつけた説明(英文の和訳のような文章)を読んで、
この歌が、父親が娘のことを考えながら書いたものであることを知った。

簡単に要約すると、
「ボーカルのスティーブン・タイラーは、仕事であるバンドのツアーのため、
娘ミア・タイラーの幼少時代の多くを一緒に過ごすことができなかった。
彼女は10代の頃ドラッグにハマった。」
というストーリー。

それを知って、和訳の字幕を見ながら曲を聴いたら、
なんだかすごく切なかった。

特に
I’m the one that jaded you
のところ。

話は跳ぶけれど、私は最近、
ひきこもりとヤンキーっていうのは実は同じ問題の違う表現なんだと思い始めた。

これについてはたくさん語りたいことがある。
けど、今日のところは敢えてひと言で言うと、
「両親の関係性の問題、あるいは親と子どもの関係性の問題が形になったもの」
という感じだろうか。

親だけが悪いと責めるつもりはないけれども(だから「関係性」と書いた)、
ひきこもりもヤンキーも、本人が心からそうしたくてしてるわけじゃないってことを、
深い意味で親は知る必要がある。
自分を今までとは全く違う角度から見つめて…

大げさに言うと、私は感動した。
正直に書くと、涙をこぼした。

この父親は、
自分のせいで娘が心に寂しさを抱え(それを自覚していたかはわからないけど)、
ドラッグのくれる恍惚に身を委ねていたことを認めているのだ。
(彼自身も、そんな過去を持っているのかもしれない)

自分の持つ、音楽という「やり方」で、
I’m thinkn’ ‘bout you
と語りかけた。

Baby, I’m afraid of you
と素直に伝えられる父親がどのくらいいるだろうか。
英語だから、本当のところのニュアンスはわからないけど、
日本では「怖い」という気持ちを口に出せる年配の男性は多くないだろう。
しかも子どもに対して…

この曲に込められたメッセージを
娘のミア・タイラーがどう受け取ったのかはわからないから、
綺麗なハッピーエンドなんて想像しない。
親子の愛憎はそんな単純なもんじゃない。

「今更こんなこと全国ネットで歌われたって…ケッ」って思ったって
別に不思議じゃない。
多くのひきこもりやヤンキーが同じことされたら、
「こんなんで、いい父親面できたと思ってんじゃねーだろーな」
と思う可能性のが高い気がする。

でも、ひきこもりつづけながら、
あるいは盗んだバイクで走り出しながら、
エクスタシーでぶっ飛びながら、
たぶん彼/彼女はこの歌のことをいつもどこかで覚えてるだろう。

ただその頭の片隅に残るメロディーに、
私は感動して泣いたんだと思う。

傷つかないために、人から自分を固く守るためにひきこもった人。
ある意味では完璧を手に入れている。

何をしたって怖くない、どんな理不尽も自分には関係ないといきがる人。
ある意味では自分は無敵だと信じている。

だけど、本当に自分の人生を「感じる」っていうことは、
感覚を麻痺させずに世界と向き合うっていうこと。

歌い出しが、
“Hey” という呼びかけと“J”の発音で始まっているのは(しかもJ-J-Jと繰り返す)、
もしかしたら『Hey Jude』とかけてるのかもしれない、と思ったりしたのだけど、
どうだろう?

傷ついた子どもに、その子どもを愛している大人が贈った歌。

本当のところは別にわからなくてもいい。
集合的無意識なんて言葉も、あるから。

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