ウワーッ
なちこです。
ここんとこ(てか、昔からだけど)、
頭ん中でぐるぐるぐるぐる悩んでばっかりで、
せっかく体は健康体なのに、
精神がインフルエンザかよってくらいにぐったりしているので、
どうしたらこんな悩みやすい自分を変えられるのか?を考えてみました。
問題があるから悩むのは「仕方ない」ことじゃない
「自分は、考えすぎる性格だ」
「自分は、悩まなくてもいいことまで悩んでる時がよくある」
ってのは自覚していて、パートナーにもよく「考えすぎないでいられるといいよね」って言われます。
ということで、なぜそんな自分になっちゃったかってことは置いておいて(根が深そうだし)、「世の中には、こうじゃない人もいるんだよな〜」と思うようにはしています。
(そう思える余裕のある時には、ってことだけど)
そう、まずは、「だって、問題があるんだから、こうなっちゃうのは仕方ない」じゃなくて、「問題はあるけど、ここまで悩まないで過ごせる人もいるらしい。私にもできるかな?」って思うところから、スタートかな、と。
あなたがいい気分でいること以上に大切なことは何もない
ぐるぐる悩んでしまって苦しいときに、よく思いだすのは、happyちゃんの言っていた
「あなたがいい気分でいること以上に大切なことは何もない」
というエイブラハムの言葉。
この言葉、すごく好き。
量子力学的な考え方にも、マッチしててわかりやすいし。
Youtubeで
【happyちゃん】世界は自分で創る 完全版
で検索すると動画が見れるので、興味ある人はぜひ。
(【happyちゃん】# 自己受容・自己確立・量子力学 で出てくる松丸先生の講義も好き〜)
※happyちゃんは「happy」名義での活動は引退して、今は本名の「竹腰紗智」さんで活動してるみたい。
私も何回か試して、ある程度実感として「使えるな」って思ってるんだけど、
「今この瞬間、自分がいい気分でいること、そして、それを毎瞬間繰り返すこと」。
これって、ほんと大事だと思う。
毎瞬間ってのが、なかなか難しいとこなんだけどね〜。
悩みの嗜癖(依存症・中毒)化
こんなこと言うとギョッとされそうだけど、
悩むっていう行為は、マスターベーションみたいだなって感じる時がある。
「悩んでる自分が好きなんでしょ?」とか言われたら、
「んなわけねーだろ!!」ってすぐツッコめるけど、
「悩んでグルグルして、苦しくて、でもちょっと切なくて、高尚な問題をどうにかしようとちゃんと自分で考えてる自分に酔ってるんじゃない?」って言われたら、
「う……(ちょっとそういうとこあるかも……)」って思いそうな気がする。
問題を解決するための行動(それで解決できるかはわからなくても、事態を何かしら発展させることができる動き)に出るよりも、決断を先延ばしにして、そのことに浸っている方が楽だし、周りから見ても「ちゃんと考えてるんだな」って思ってもらえそうだから、いつまでも同じところでぐるぐるしている…。
心屋のぢんさんに言わせれば、それって超どMなわけでw、
いじわるな言い方だけど、
もやもやしたものを、ためてためてためてためて……
そこから解放された時の爽快感を味わうのが好きってことなんじゃないの?
って、思えてきた。(つまり自作自演w)
ここで、
「そっか〜!悩むこと依存症かよ私!ww」って笑えてくるなら、けっこう軽症かもしれない。
でも、「しんどくて、やめたいって思ってるんだけど、やめられない(やめ方がわからない)」なら、それは、何かしらの要因があって身についてしまった、嗜癖(依存症)みたいなもんなのかもしれない。
依存症って言ったら大げさに聞こえるかもしれないけど。
Addicted To 悩み。
だとしたら、そこから抜け出すには、専門的な解決方法が必要だよね。
アルコール依存症も、ギャンブル依存症も、「治療」が必要なわけだから。
今日1日だけ、悩まないことにしてみる
友達のシェアで知ったこのマンガ
「セックス依存症になりました。」津島隆太(週プレNEWS)
無料で読めるので、ぜひ。おもしろいよ!
重度のセックス依存症患者が主人公のこのマンガの中に、
依存症患者の「ミーティング」(グループセラピー)が出てくる(第29話〜)。
私自身、アダルトチルドレンの「ミーティング」に数回参加した経験があり、その宗教っぽさも、アメリカっぽさも、いわゆる「ニーバーの祈り」も既知のものだったんだけど(ニーバーの祈りは、宇多田ヒカルが「Wait & See ~リスク~」で引用してた「変えられないものを受け入れる力 そして受け入れられないものを
変える力をちょうだいよ」ってやつね)、
初めて知った言葉で、「ソブラエティ(しらふ)」っていうのがあった。
マンガの中では、
「性的ソブラエティは、3ヶ月です」とか「性的ソブラエティは、2週間です」っていうセリフが出てくる。
概念は知ってた。
依存症患者の「ミーティング」は、もともとアルコール依存症の人たちから始まったもので、「AA(アルコホリック・アノニマス)」って言うんだけど、そこでの重要な考え方のひとつに、「今日1日だけ、お酒を飲まない」っていう誓いを守って、それを1日1日ただ積み重ねていく、ってのがある。
「もう絶対に飲まない!」とか「一生お酒は飲みません!」みたいな目標には、強大な意思の力が必要な上に、破ってしまった時の自責も大きい。
それによって自暴自棄になって、依存症に逆戻りの人も多い。
だけど、「今日1日だけ……」って本気で思って(明日以降のことを考えないのがミソだと私は思ってるんだけど)、その積み重ねで、一生を終えることができれば、その人はアルコール依存症を克服したことになる。
マンガに出てきた「性的ソブラエティ」は、一生性行為をしないことを目指してるわけではないけど、性欲による行動を自分でコントロールできるようになるために、ある程度の期間、性的な行為を行わないことを決めて、その期間を目指すというようなことらしい。
(達成した期間に応じてメダルがもらえるシステムになっている)
この考え方を応用して、
「今日1日だけ、悩まない」っていう誓い(?)を立てて、なんとか今日1日悩まずにやり過ごし、それを1日1日ただ積み重ねていく……って、けっこういいアイデアなんじゃないか?とか思いついた。
「悩みソブラエティ」を意識してみる
つまり、「悩みソブラエティ(しらふ)」を意識してみるってことだ。
悩みが、空腹や排泄などの、不随意な生理現象のようなものではなくて、自分の心のあり方次第である程度コントロールできるものであるならば、「今日1日」くらいはできなくはないはず。
そして、それはまさに、happyちゃんが言ってた
「今この瞬間、自分がいい気分でいること、そして、それを毎瞬間繰り返すこと」。
に近いものを感じる。
たぶん、本当にアルコール依存症を克服したい人は、
「今この瞬間、お酒を飲まないことを選ぶこと、そして、それを毎瞬間繰り返すこと」。
これを意識して生きている。
だから、悩むこと依存症を克服したい人は、
「今この瞬間、悩まないことを選ぶこと、そして、それを毎瞬間繰り返すこと」。
これを意識して生きていったらいいよね。
まあ、依存症の治療と比べると、そこまで切羽詰まってない(大きな実害がない)から、その分モチベーションを維持する工夫は必要かもしれないけど。
でも、今後一生、悩むことが日常のベースにある人生と、悩まないことが日常のベースにある人生だったら、それって大違いな気がするんだけど……どうだろう?
問題から目を逸らすのと、問題を問題と認識しないことは違う
こういうこと書くと、「悩まないようにしてみる」って、目の前にある問題から目を逸らしてるだけじゃない?って思う人も多いけど、目の前にある問題から目を逸らすことと、問題だと思っていたことが実はたいして問題じゃなかったんだと認識する(リフレーミングする)ことは、似ているようで全然違うと思う。
端から見てるとほぼ同じだから、ダメ出しされたり、心配されたりするけどね
(何よりも、自分が自分に「そんなんじゃダメ!」とか言いがちだし(^^;))。
ここで言いたいのは、悩まなくてもいいこと(例えば、相手の気持ちを変えたいとか)をいつまでも悩む必要は全くないと気づくってことで、対処する必要があることに対処しなくていいってことではないんだよね。
悩むことがクセになってる人が、「悩むことを、一旦意識的にやめてみる」って、めっちゃ難しいし、怖いんだけど、思い切って練習してみると、知らなかった世界が見えてくる。
まぁ、うまくできない人は、心屋ぢんさんのブログのコメントを読み漁るのが、けっこうおすすめかな。
何回も逆戻りしてる私が言うのもなんだけどw、でも、ほんまにそれは実感してるし、繰り返し繰り返し何回もまた挑戦しているうちに、徐々に悩む深さが浅くなってきたり、悩む時間の総量が減ってきてるのも、感じてます。
おわりに
とりあえず「悩みソブラエティ」って言葉を思いつけたのが「自分、グッジョブ👍」って感じですね。
個人的に、活用していこうと思います。
別に、今日で「悩みソブラエティ」何日目か?なんて数えなくていい。
今この瞬間、自分は「悩みソブラエティか?」を、ことあるごとに思い出してみよう。
「私も使いたい!」って思った方は、
どうぞご自由にバンバン使ってください!(^o^)/
おわり。