ウワーッ
なちこです。
ずーっとずーっと追いかけてきた目標を、手放してみました。
ずっと書きたかった小説をあきらめた
2018年に手放したもののひとつが「小説を書き上げること」。
7〜8年前から自分の中で断片的に少しずつ育てていたストーリーがあって、いつか絶対書き上げて、何らかの形で出版したいと思い続けてきた目標だったんですが、なんか準備してる間にも本当にいろいろな気持ちを経験して、「もうそこまでこだわらなくてもいいかな」って感じになりました。
「書いてるのが本当に楽しくて、自由時間に落書きするみたいに好きで書いてたら下書きがある程度まとまった量になった。だから、ちゃんとした作品に整えようかな」みたいな感じだったらよかったんですけど、実際は、
「なんとか頑張って(自分を追い詰めて)、いいものを作り上げなくては……!」みたいになって、必死で書こうとしてた(その割に書けなかった)ので。
それはなんか違うなーって。
完璧主義過ぎて前に進めなかった
書きたかったのは、自分自身や船の仲間が、ピースボートの船旅で経験したことをもとに、船旅を舞台にして、傷ついた人たちがゆるやかに癒されていくような青春小説(フィクション)でした。
で、ピースボートの船旅を疑似体験できるような機能を持たせられたらいいなぁ、と。
たぶん、クオリティを気にせずに書きたいと思ったことを書いていけば、拙いながらも作品を完成させることはできたかもしれません。
でも、私の中で「小説を書く」っていう行為に対するハードルがやたら高く設定されてて(たぶん思い込みなのだけど)、それを乗り越えることができなかった。
乗り越えようとしてみたけど、完璧主義過ぎて、自分の下手さに耐えられないのと(それはそれで、ある程度文章の「良い悪い」がわかってるってことで、読者としては良いことなんだろうけど)「数ある可能性の中からひとつに決めて確定させていく」という作業が意外とつらくて(要は、頭の中であーでもないこーでもないって妄想してるのが楽しいってことね)、挑戦を続けることができませんでした。
ポジティブに言うと、楽な道を選ぶことを自分に許したってことなんですけどね。
これは、文芸以外でも、創作をする人はみんな通る道なんじゃないかな〜って思いましたね。
私がやらなくても大丈夫
それから、書きたいと思った時は、自己表現目的以外にも、「船旅の世界の実情を、読みやすい娯楽作品にすることで、ピースボートの船旅に興味を持ってくれる人が増えたらいいなぁ」と思ったのが大きな動機だったんです。
今もその思いはあるけど、この7〜8年の間にSNSや個人ブログ、動画サイトがかなり充実してきたことによって、ピースボートの船旅情報は、求めている人の手に十分届くようになってきただろうという感覚があって、最初に「書きたい!」と思った時ほど、この思いは大きな動機ではなくなっちゃいました。
魅力を広める・届ける役目は、それを得意とする人たちがたくさんいるので、心配しなくてもいいんだな〜ってことが実感できてきたので、これに関しては、私がやらなくても大丈夫じゃん、って思えるようになりました。
モノを手放すことで「こういう人に見られたい」という気持ちも手放した
それから、去年の夏に、佐々木典士さんの「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」という本を読んでめっちゃ影響を受け、たくさんモノを手放したんですね。
今までにも数回、大規模な片付けはしたことがあったけど(こんまりさんの本などを読んで)、その時には「ときめくし、これはこの先も絶対に捨てられない!」と思っていたものが、なんと、この本を読んだら手放せたんです。
何がこんまりさんと違ったのか。
この本で、たぶん佐々木さんが一番言いたいことを簡単にまとめると、「人は、『こういう人に見られたい』と思って、モノを持つんだ(持っているモノで、自分という人間を他人に判断してもらおうとする)」ということ。
だから、モノがなくても、「自分は、こういう人間なんだ(人にどう思われようとも)」と思えたら、多くのモノは要らないんです(生活必需品はまた別だけど、本当に生活に必要なモノはそう多くない)。
これを読んで、とっても腑に落ちて、「あー。本当に、人から見られたくて持っていたモノだったなーコレ」と実感しながらたくさんのモノを手放しました。
その中で、「あ。」って気づいたことがあったんです。
それは、「“モノ”だけじゃなくて、“表現”も、『こういう(表現をする)人だと思われたい』という気持ちでやっている時があるんじゃないかな」ということ。
私にとって、船旅の小説を書くことは、自分がそれをどうしても書きたいと思う気持ちがあったのも本当だけど、その気持ち100%だったわけじゃなく、「『小説を書く人』『自分の経験を物語に昇華することのできる人』と思われたい(だから、この目標を持っていたい。モノのように)」という気持ちも多分にあったかも…って思ったんですね。
もっとぶっちゃけて言うと、書き上げて、「すごいね!」って言われたかった!(爆)
それを自分で認められたら、ずいぶん長い間「絶対に…!」と思い続けてきたこだわりは、「やりたかったらやればいいし、やれなかったとしても別に問題ない」っていう、ただの遊びに変わりました。
人にどう思われようとも、書きたかったら純粋欲求として書けばいいし、書けなくても、私という人間の本質は変わらないんだ…!
これに気づけたら、ほんまに気分軽くなりましたよ^^
それに、断捨離して「生活のノイズ」を減らしていくと、不思議なことに「目標とか、いらないな〜。今日1日、ここに生きて生活をしてるだけで幸せ」みたいな境地になってくる時があるんですよね。ほんとに。(それが全てじゃないけれど)
doingやhavingの幸せじゃなくて、beingの幸せって言うんでしょうか。
京都に来てから、すこしずつだけどじっくりと「自分のことを大切にする感覚」を磨いたり、「自分にとっての心地よさ」を追求してきたことで、自分に鞭打ってまで過去に立てた目標を達成しなくても、自分は価値のある人間だ、って思えるようになったんだと思います。
溜めてたネタをちょっとずつブログに書いていきます
そんな小説の、断片や設定アイデアなどを、せっかくなのでこのブログの記事にすることで残していこうかな〜などと思っています。
仕上げるつもりでいた時には「作品が完成するまでは外には出せない…!」と思ってたネタたちですが、「こんなことを伝えたいな」「そのためにはこういうネタだな」と思いついたことを、記事っていう形で書けたら、伝えたかったことの半分くらいは伝わるかなと思って。
小説という形にはならなかったけど、伝えたいと思った気持ちは消化していきたい、そんな気分です。
もしも、今後この「ネタ集」(になるはず)を読んで、「このアイデア使って、ぜひ自分が書きたいわ」という人がいたら、連絡くださいね☺️
J.K.ローリング(ハリポタの作者)よろしく、書きたかった理由のひとつは「そういう小説あったら、私が読みたい!」って思ったことでもあったので、もう自分では書かないけど、読ませてくれる人がもしいたら、大歓迎ですよ。
おまけ:そういや小説ほとんど読まなくなった
京都に来てから、マンガばっかり読むようになったので(幸せです!✨)、以前と比べると小説をほとんど読まなくなったんですよね。
自分の中で、小説作品の価値が相対的に下がったことも「もうこだわらなくてもいいかな」っていう思いに至ったことと、もしかしたらつながってるかもしれませんね。